永遠に安らかに眠りたい

生きながら死んでしまった

新しいもの

新しい物事を取り入れられない。

知らない物語を取り込んで

理解するのはとても疲れる

 

 

昔みていた物語とか

何度もみた映画とか

そういう物を反芻するのがやっと

 

 

 

 

 

 

 

過去を回収しないといけない。

 

新しく何かを取り込む前に

 

過去の呪縛から解かれて

また自由な感受性がほしい

すべては恐怖

親に否定された悲しみ

本心を出したら壊れる信頼

 

 

全ては恐怖

 

 

 

 

 

 

 

本気で信頼出来ない。

誰のことも

 

自分の本心を表現してはいけない。

なぜなら嫌われ否定されるから

 

でも世の中に悪い人なんて居ない。

偶に嫌なことをされるのは仕方がないし

本当は私の事大切に思ってるよね

 

それに、私の身近な人が

悪い人なわけない

今まで育ててくれたんだから、

 

嫌な思いをしたり怖い思いをしたりするのは

家族とはそういう物なんだよ

それが家族なんだな

 

本当はお父さんはすごい人なんだよ

お母さんはいつも駄目な人だ

 

 

 

 

 

 

恐怖から救い出して

早くこの領域から開放されたい

 

死んだら意識はどうなるのか

死んだ人は帰って来てくれないので

死んだ後のことは調べようがない

 

 

 

 

「意識」は物理的なものではないけど、

死んだら意識はなくなって

「無」になるのだと思っていた

 

なんとなく

 

 

 

 

 

 

でも

臨死体験をした人からすると、

それは違うらしい

 

 

死ぬと、

暗い狭いところに

ずっと蹲っていて、つらい

 

と言う人とか

 

時や空間を超えて

色んな場所へ行けるようになる

 

とか

 

 

 

 

 

 

 

昔、物理学系のテレビを見ていた時

「意識は遠い宇宙の物質と繋がっている」

みたいな説を唱えている学者がいた。

 

どういう原理とか

そういうのは全く覚えてないけど

 

なんだかすごくいいなと思った記憶がある

 

 

 

我々は

数多の意識の集合体なのかもしれないし

また遠い宇宙にある

別の意識と繋がっているのかもしれない

 

 

 

 

 

もし、死んだら

時と空間を超えて行けるのなら

 

それはひとつ上の次元に

到達したということなのかな

 

そう思うと

死ぬことは何も悪いこととは思えない

 

ただひとつ上の領域へ

移動するだけなのかもしれない

 

 

 

暗いところで蹲っているのはつらいけど。

 

機能不全家庭の食卓

一般から見たイメージだと、

不健全な家庭の食卓というのは

 

たとえば

栄養が不足しているとか

カップラーメンみたいなのとか

 

 

 

そんなイメージなんだと思う

 

 

 

わたしの家庭は全くそんなことはない

 

むしろ、1度たりとも

カップラーメンを夕飯にしたことなんかないし

和食なら主菜と副菜と味噌汁が必ず出される

 

外食は年に一度するかしないか

 

母が毎日手間をかけて作っていた

 

 

 

 

問題はそこではなくて

その食卓を、

父がひっくり返すのだ

 

 

 

 

 

本当に物理的に

用意した食事をのせたテーブルを

父がひっくり返したことがある

 

わたしは幼過ぎて、

記憶がほとんどないけど

 

 

 

それか、出されたものに対して

たとえば

 

「味付けが濃い。俺を病気にさせたいのか」

「こんな貧乏飯を俺に食わせるのか」

 

とか。

 

もしくは、家族の分まで

用意された全ての食べ物を食い尽くすとか

 

逆に、

「気に入らないので食べない」

とか。

 

 

 

 

 

現実はこんな感じ

家庭によって色々あるだろうけど

 

 

 

 

長らくこの環境で生きてきたので、

これらに違和感を覚えることが出来なかった

 

家族とはこういう物なんだと思っていた

 

 

 

 

 

 

知らなかった

社会に出て色んな人に会って

たくさん話をするまで

 

 

 

 

 

でもよかった

ふつうの家庭でこんなことは起きないらしい

 

思っていたよりも

世間が穏やかでよかった

 

初めて知ったこと

「ふつうの」「健全な」

家庭では、

 

 

週末は家族や夫婦で過ごすらしい

 

 

私の家では

週末は父親が必ず出かけて

その日は帰って来ないし

 

夫婦2人でどこかに出掛けたり

家族の時間を過ごすなんて有り得ない

 

 

 

 

 

私が幼い頃は、

父は私を連れて遊びに行ってくれていた

記憶があるけど

 

ほとんどの週末は

出掛けると言って父は家にいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

25年前、

わたしが産まれる瞬間

父は日本にいなかった

 

理由は仕事か旅行か覚えてないけど

 

帰る気も無かったらしい

 

 

代わりに母方の祖父母が

産まれたわたしを見に来てくれた

 

わたしは祖父母のことは大好きで

父親よりもたくさん遊んでもらった

 

 

 

 

 

産まれたわたしを見に来て欲しかったとか

そういう気持ちはない

 

ただ夫婦として、家族として

母親を大切にしていないことが

ずっと許せない